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コンスタンチノープルの聖メトディオ総大司教             記念日 6月14日


 メトディオがシラクサで生まれた頃は、東方教会の人々がイエズスや諸聖人の絵画を破棄していた時代であったが、メドティオは美しいイコンを描いて信者達を励まそうと努めた画家達を、力を尽くして支持したのであった。

 メドティオは若い時に皇帝の廷臣になるつもりでコンスタンチノープルに行ったが、聖人のような一人の修道士に出会って、その感化を受け、現世から退くことを決心したのだった。そして、キオス島に修道院を建てて一生とどまるつもりであった。
 しかし、コンスタンチノープルの総大司教聖ニセフィロに呼ばれて、二人でイコンを破壊する人々に大反対したが、ニセフィロは退位させられて追放の憂き目にあった。メトディオも逃亡しなければならなかった。
 
 821年ニセフィロの復職を命じる教皇の手紙を持ってコンスタンチノープルへ帰って来た。ところが皇帝はメトディオをむち打ちの刑に処して追放した。メトディオは7年間3人の盗賊と共に地下牢に入れられ、3人の中のひとりが死んだ時には、その死体は生存者といっしょに捨ておかれて、腐敗していった。

 842年、皇帝は死去し、皇后テオドラが幼い皇子の摂政として国を統治したが、幸いなことに彼女はイコンを守った人々を支持した。

 843年にメトディオは、コンスタンチノープルの総大司教となった。まもなく彼は司教会議を招集してイコンの正当性を宣言した。東方教会では、年毎に「正統信仰の祝日」が守られて、この勝利を記念している。聖メトディオは847年6月14日に水腫症で亡くなった。